ファンやかつての選手たち、そしてクラブの関係者約150人が、現地時間13日の午前11時に、オールド・トラッフォードの広場に集まり、アルバート・スキャンロンを追悼した。
バスビー・ベイブスの1人だったスキャンロンの葬列は、サー・マット・バスビー通りを通って、ソルフォードのウィーストにあるオール・ソウルズ教会へ向かう途中、ミュンヘンの悲劇の祈念碑の前で数分間、動きを止めた。スキャンロンは昨年12月22日に亡くなった。74歳だった。
オールド・トラッフォードとメイン・ロード(当時のシティーのホームスタジアム)のちょうど間にあるハルムで生まれたアルバート・スキャンロンにとって、サッカーを続けていく上で、ユナイテッドかシティーでキャリアを終えることが賢明な判断だと思われていた。スキャンロンはハルムにある聖ウィルフレッド学園に通っていたが、そこでサッカーの才能を開花させる。
1950年にグラウンドスタッフとしてユナイテッドの門を叩き、1952年に、プロ契約を結んだ。トップチームでのデビュー前に、彼は1953年、翌年の54年と2度のFAユースカップ獲得に貢献。そして、1954年11月20日にオールド・トラッフォードで行われたアーセナル戦で、リーグ戦デビューを飾るのだった。この試合で、ユナイテッドは2-1と勝利を収め、スキャンロンにとってはプロ生活の素晴らしい幕開けとなった。