ジョニー ベリー
ジャッキー ブランチフラワー
デイヴィッド ペッグ
ユナイテッドの偉大な主将と言えば、ロイ・キーン、ブライアン・ロブソン、ジョニー・ケアリーなどの名前が挙がるかもしれないが、ロジャー・バーンも忘れてはならない。
バスビー・ベイブスの中では兄貴的な存在でチームを牽引したバーンだが、ミュンヘンの悲劇ではチームの若手選手たちとともに命を落とした。
1951年にリヴァプール戦でデビューを果たすと、その2年後には、引退したケアリーの後を継いで、24歳の若さで主将に就任した。1951-52シーズンにはユナイテッドの41年ぶりのリーグ優勝に貢献。1955-56シーズンにもリーグを制覇するが、その頃にはバスビー・ベイ
ブスと呼ばれる若手が台頭してきたこともあり、4年前のリーグ優勝を経験していたのはバーンとジョニー・ベリーの2人だけで、大幅に若返ったチームの平均年齢は22歳だった。
1956-57シーズン、チームはトレブル(三冠)の達成を惜しくも逃してしまう。リーグは連覇したものの、チャンピオンズカップでは準決勝でレアル・マドリーに敗れ、FAカップでも決勝でアストン・ヴィラの前に敗退した。ウェンブリーでのFAカップ決勝で負けたあと、バーンは「落ち込むことはない。来年また戻って来ればいいじゃないか」とコメントした。ユナイテッドはたしかに翌1958年にウェンブリーへ戻って来たものの、そこにバーンの姿はなかった。